
ワールド・フォトグラファー
アジェ・フォト
Atget Photography
1801-1850
1851-1900
フランス (1857-1927)
E. J. べロック
アメリカ (1873-1949)
ルイス・ハイン
アメリカ (1874-1940)
エドワード・ウエストン
アメリカ (1886-1958)
マン・レイ
アメリカ (1890-1976)
アンドレ・ケルテス
ハンガリー〜アメリカ
(1894-1985)
ジャック=アンリ・ラルティ−グ
フランス (1894-1986)
ドロシア・ラング
アメリカ (1895-1965)
ベレニス・アボット
アメリカ (1898-1991)
ブラッサイ
ハンガリー〜フランス
(1899-1984)
1901-1950
アメリカ (1902-1984)
ウォーカー・エヴァンス
アメリカ (1903-1975)
ビル・ブラント
イギリス (1904-1983)
アンリ・カルティエ=ブレッソン
フランス (1908-2004)
土門拳 updated
日本 (1909-1990)
ヘレン・レヴィット
アメリカ (1913-2009)
アーヴィング・ペン
アメリカ (1917-2009)
ユージン・スミス
アメリカ (1918-1978)
ダイアン・アーバス updated
アメリカ (1923-1971)
ロバート・フランク
スイス〜アメリカ
(1924- )
ゲイリー・ウィノグランド
アメリカ (1928-1984)
リー・フリードランダー
アメリカ (1934- )
ヨゼフ・クーデルカ
チェコ (1939- )
1951-2000
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ドキュメンタリー写真の異才、ダイアン・アーバスは1923年にニューヨークの裕福なユダヤ人家庭に生まれました。父親はニューヨークの高級店が立ち並ぶ五番街に店舗を構えるデパートの経営者でした。14歳のとき、父の経営するデパートでスケッチの教室に通うことになり、そこで当時19歳のアラン・アーバスに出会いました。ダイアンはすでに非凡な絵の才能を発揮していましたが、その絵も止め、18歳になるとすぐアランと結婚しました。アランは写真学校に通い、ダイアンは助手兼スタイリストとしてふたりでチームを組んでファッション写真の仕事を始めるようになります。アーバスの父親はふたりに自分のデパートの広告写真を依頼し、共同でファッション写真を手がけ、やがてヴォーグ誌やグラマー誌で活躍するようになります。
その後ふたりはコンビを解消、ダイアンは写真家リゼット・モデルに師事しました。リゼット・モデルは当時アメリカで最も有名な写真の教師でした。そのモデルに励まされて、ダイアンは子どものころから直視するのを禁じられてきた人や場所を記録し始めます。両性具有者、身体障害者、服装倒錯者、双子、小人、施設に収容されている人……。
ダイアンの写真は雑誌「エスクァイア」誌に掲載されるなど、次第に評価され始め、1967年にはニューヨーク近代美術館で開催された「ニュードキュメンツ」展(ジョン・シャーカフスキー企画) にリー・フリードランダー、ゲイリー・ウイノグランドとともに選出されて注目を集めました。
こうした活動の一方で、アーバスは以前から慢性的な鬱病に苦しめられていて、肝炎をも患い、精神的に追い詰められていきました。
1969年になると、別居していた夫アランと正式に離婚、別居中も精神的に経済的にダイアンを支え続けていたアランでしたが、若い女優と再婚し、ハリウッドに移って俳優の仕事に本格的に取り組むことになったのです。
孤独への恐怖、慢性的な鬱病、自分の仕事に向けられる評価と敵意。
1971年7月26日、自宅の浴槽で死亡しているダイアン・アーバスが発見されました。自殺でした。翌年秋にはニューヨーク近代美術館で回顧展が開催されました。
日本に限らず、世界中どの国でもいえることですが、「絵画」という伝統的な芸術は、写真にとってはよき先輩にあたると同時に、少々やっかいな存在でもあります。というのも写真が絵画の代替物であるという位置づけが長い間続いたからです。
この問題は、西洋よりも日本のほうが深刻でした。なぜなら、ヨーロッパの風景画の複雑な光や色の描写を模倣するよりも、北斎に代表される浮世絵の極限までそぎ落とされた大胆でシンプルな構図を模倣するほうがずっと容易だからです。こうした理由から、第二次世界大戦以前の日本の写真は、浮世絵の模造品のような、シンプルな風景を撮影したものがほとんどでした。
土門拳は、それまでの「浮世絵」的な写真という呪縛を打ち破った写真家でした。
土門拳は1909年10月25日に山形県酒田市で生まれました。報道写真から出発した土門拳は、その後徹底したリアリズム写真を確立しました。「霧のなかにぼんやりと浮かぶ美しい山」を撮影するよりも、対象物を明確に正確に描写するほうがより挑戦的であると捉えていました。
実際のところ、アジェの生い立ちや写真を撮った理由についてはよくわかっていません。
いくつかの断片的な事実や逸話などからぼんやりとした輪郭が浮かび上がっているだけです。
1857年、ボルドー近くのLibourneで生まれたアジェは、若いころは水夫をしていましたが、その後、旅回りの役者に転じました。脇役ばかりで大きな成功は収められなかったために、画家をやってみたりしましたが、結局40歳のときに写真を始め、これがライフワークとなったのです。
一見すると、彼は典型的なコマーシャルフォトグラファーのように思われています。けっして革新的な写真ではなく、当時すたれつつあったテクニックで愚直なまでに丁寧に仕事をしました。
晩年になると、そのテクニックは当時の流行から外れ、アナクロにさえ思われたはずです。
ムーヴメントを巻き起こしたわけでもなく、同調者もいませんでしたが、アジェの写真の純粋さ、強烈さに匹敵する写真家はほかにいないでしょう。




























