Alfred Stieglitz アルフレッド・スティーグリッツ




Alfred Stieglitz
アルフレッド・スティーグリッツ


アメリカ, 1864-1946

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Alfred Stieglitz アルフレッド・スティーグリッツ

アルフレッド・スティーグリッツは写真家であるというだけでなく、写真の発展に大きな貢献をした人物です。

スティーグリッツは1864年、ニュージャージー州ホーボーケンに生まれました。両親はドイツ系ユダヤ人の移民で、裕福な家庭だったため、当時ニューヨークで最高だった私立学校に通いましたが、そこでの勉強が「もの足りなく感じた」ので、ドイツに留学し、機械工学を学びました。ところがたまたま聴講した化学の教授が写真の現像について研究していたので、彼はそこで写真と出会ったのです。その後カメラを買ってヨーロッパを旅し、風景や農民などを撮影しました。

1890年、スティーグリッツはニューヨークに戻りました。写真が、絵画や彫刻と同じくらい芸術的表現ができる媒体であることを証明しようという決意のうえでの帰国でした。手始めにアマチュア写真愛好家団体「カメラクラブ・オブ・ニューヨーク」の機関誌「カメラ・ノート」の編集者として、芸術としての写真の可能性を追求していきます。ところがカメラクラブの一般会員たちがスティーグリッツのあまりに厳格な編集方針に異を唱えるようになると、自分と同じ考えを持つ写真家たちとともにクラブを脱退し、1902年に「フォト・セセッション」という団体を設立しました。

グループ内のほとんどの写真家たちはプリントの段階でさまざまな技巧を凝らした芸術的な作品を制作しましたが、スティーグリッツのアプローチは少々異なっていました。雨、雪、蒸気といった自然現象を取り入れ、その効果によって絵画的な写真になるよう撮影したのです。

フォト・セセッションは機関誌「カメラ・ワーク」を発行し、エドワード・スタイケンが場所を提供したニューヨーク五番街のギャラリー「291」を開設しました。こうした活動を通してスティーグリッツは自国の若い写真家やモダン・アーティストをサポートする一方、ピカソ、ロダン、ブランクーシといったヨーロッパのモダニズムの芸術家を紹介していきました。



Alfred Stieglitz アルフレッド・スティーグリッツ

1917年ごろまでに、スティーグリッツの写真に対する考え方は変化を始めていました。かつて、写真が絵画と同様に芸術的な媒体であることを証明するための最良の手段は、プリントの段階で手を加えて油絵や水彩画のようにすることでした。しかし時代が変わり、そうした考えはもはや古くさく頑迷であるとみなされるようになっていきます。写真はテンポの速い不協和音のような現代生活を表現するのに適したツールであり、写真の持つその力をプリントをいじくり回すことで覆い隠してしまうようなやり方に、スティーグリッツやその仲間たちは反対しました。

スティーグリッツはポール・ストランドやチャールズ・シーラーなどのストレートフォトグラフィと呼ばれる写真家たちのサポートをすることで写真に対する新しいアプローチを結晶化させてゆきますが、彼自身の写真もまたその作風を変化させました。その代表作が画家ジョージア・オキーフのポートレートです。1917〜25年の間に、彼は数百枚に及ぶオキーフのポートレートを撮影し、1924年にふたりは結婚しました。

オキーフの個性をたった一枚の写真に集約させることを否定したスティーグリッツの考え方は、モダニズムの思想と一致しています。すなわち、現代の生活はそのペースがあまりに速いために自己も断片化してしまっているという考えであり、人間の個性は環境と同様に常に変化し続けているという考え方です。そして最後に、現代社会において真実とは相対的なものであり、写真は被写体を描写した反映物であるのと同じく、被写体に対する写真家の感情を表現したものでもあるという認識です。

「イクィヴァレンツ(等価)」と彼が呼んでいた雲のシリーズは、この考え方にもとづいて制作されたものです。雲の写真は手を加えていない空のポートレートであり、スティーグリッツがシャッターを切った瞬間の感情的経験と類似性を持つものとして機能しているのです。


Alfred Stieglitz アルフレッド・スティーグリッツ

かつて芸術家は、ひとつのアイデアを生涯を通じて突き詰めていく場合がほとんどでした。ある考えをほかの表現に言い換え、調整を加えながら精製して別の問題に適用してみたり、基本概念の構成要素を分解して、再構築を試みるといった具合です。ところが写真の場合、変化のスピードが非常に早いせいもあって、自分の構想を追求し続けるための活力と柔軟性を一生維持することができた写真家は稀なのです。非凡な才能を持つ多くの写真家の純粋な制作期間は、せいぜい10年か15年といったところです。

スティーグリッツは、年下の友人でありライバルでもあったエドワード・スタイケン同様に、この法則の代表的な例外です。彼はその長い生涯を通じてひとつの概念と添い遂げるのではなく、少なくとも2回休止して最終地点を検討し、そこへ向かう過程を再計画することによって倦怠期を避けてきました。スティーグリッツは写真家の人生を少なくとも3回生きたともいえるでしょう。そしてそれぞれの人生で、ほかの写真家とは一線を画す並外れた作品を生み出したのです。

40歳くらいまでのスティーグリッツの作品は、伝統的な絵画から引き継がれた美的感覚に強く影響されていました。

そして40代後半から作品の性格が大きく変化しました。それまでの作品が「自分の思考を記録するために使ったのがカメラだったというだけ」だとすると、新しい作品は「カメラを使うことによって、カメラのなかで発見した思考」だといえるでしょう。コンセプト上も、実際に発表された作品からも、この時期に撮影されたポートレートや都市の景観は直接的で即時性を持ち、初期の絵画的な写真では見られなかった実体験にもとづく作品となりました。

1920年代前半以降、50代も後半を迎えるとその作品はだんだんと内面に向かうようになり、個人的で、純粋で、自己充足的なものになっていきました。死を意識し始めた天才の、誇り高く、秘密に満ちた孤独を表現したものも見られます。


Alfred Stieglitz アルフレッド・スティーグリッツ

スティーグリッツの姪で画家、登山家でもあったジョージア・エンゲルハルトのポートレートが撮影されたのは、50代半ばで、まさに脂の乗り切っていた時期です。この写真は、スティーグリッツが写真家としてのキャリアを通じて絶えず取り組んできた中心的な問題を提示しつつ、同時に解決しています。まず第一にこれが魅力的なポートレートであり、この美しい夏の少女の身体的、精神的な特徴をうまく表現しているという点です。

彼は、一般的なスナップショットの基本的な構成によって非常に雄弁な世界の構築をもくろみました。少女の身体のしぐさとそのシルエットはぴんと張られたバネのような安定感と可能性を表現しています。その右腕は、妻ジョージア・オキーフのポートレート群に通ずる屈折した美を暗示しているかのようです。そして、この作品を完全なものにしているのは光です。隅から隅まで、まるで一枚のタペストリーのように、光がその完璧な空間を完成させているのです。





アルフレッド・スティーグリッツ / キュレーターおすすめの写真集
Alfred Stieglitz: The Key Set - Volume I & II: The Alfred Stieglitz Collection of Photographs

豪華な箱入り2巻セットの写真集。スティーグリッツの作品を最も多く所蔵しているナショナル・ギャラリー・オブ・アートのコレクションで、ジョージア・オキーフから寄贈されたものです。スティーグリッツ研究の決定版です。


Camera Work: The Complete Photographs 1903 - 1917 (25th Anniversary Special Edtn)

スティーグリッツが創設した団体フォト・セセッションの機関誌「カメラ・ワーク」から厳選された記事、写真が掲載されています。彼の考え方、当時の写真事情を知るうえで役に立つ一冊。


ジョージア・オキーフとアルフレッド・スティーグリッツ (岩波アート・ライブラリー)

風景、花、動物の骨などを中心にすえた幻想的な作風で注目される20世紀アメリカを代表する画家ジョージア・オキーフと、その才能を見出し人生の伴侶となった「近代写真の父」アルフレッド・スティーグリッツ。互いに触発しあい、創造的な幸福感を分かちあった2人の歩みを、主要作品とともにつぶさに描き出す。



アルフレッド・スティーグリッツのことば・名言集
  • アートにはさまざまな独立した分野があるが、写真がほかのアートにはない写真だけの表現の可能性を獲得しない限り、それは単なる手段に過ぎず、アートとはなりえないだろう。しかし仮に写真がアートだとすると、それらの可能性のうえには全面的に信頼が築かれなければならない。そうすればそれらの可能性は完全なる結果を生み出すことになるかもしれない。
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