Margaret Bourke-White マーガレット・バーク=ホワイト




Margaret Bourke-White
マーガレット・バーク=ホワイト


アメリカ, 1904-1971

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Margaret Bourke-White マーガレット・バーク=ホワイト

マーガレット・バーク=ホワイトは、同時代に活動した写真家のなかで、もっとも有名で、もっとも成功した一人です。知性、才能、野心、柔軟性を兼ね備えた女性で、1930年代に創刊された「ライフ」誌に代表されるグループ・ジャーナリズムの発展に大きく貢献しました。 彼女はソ連の産業分野での撮影を許可された最初の外国人カメラマンであり、世界初の女性従軍記者であり、戦闘地域で働くことを許諾された最初の女性であり、雑誌「ライフ」における初めての女性カメラマンであり、「ライフ」誌創刊号の表紙を飾ったのもバーク=ホワイトの写真でした。

マーガレット・バーク=ホワイトは1904年6月14日、ユダヤ人の父とアイリッシュ系の母の間に、ニューヨークのブロンクスで生まれました。父のジョセフ・ホワイトは発明家でありエンジニアでした。母ミニーは1900年代初頭の女性としては進歩的な考えの持ち主だったようです。

幼いマーガレットが写真に興味を持ったのは父ジョセフの影響でした。彼は科学者としての知的好奇心を満たすために趣味として写真を撮るアマチュア・カメラマンで、家には彼が撮影した写真が多数飾られていました。このため、マーガレットも煙草の空き箱をカメラに見立てた「写真ごっこ」をして遊んでいました。父が浴室で現像するのを手伝ったこともあったようです。

父の死後、いくつかの大学を転々としたバーク=ホワイトは写真撮影スタジオを開設し、建築や工業製品の撮影を行うようになります。 1939年に25歳の若さで雑誌「フォーチュン」誌のカメラマンとして活動を始めたとき、バーク=ホワイトはすでに機械・工場・建造物などの工業カメラマンとして知られた存在でした。


Margaret Bourke-White マーガレット・バーク=ホワイト

1936年に雑誌「ライフ」誌が創刊されると、彼女はそれまでの工業分野でのキャリアを捨て、「ライフ」誌のスタッフとして採用されました。彼女が撮影したフォートペック・ダム建設の写真は、記念すべき創刊号の表紙を飾ったのです。 こうしてバーク=ホワイトは、世界中から選りすぐられた華やかな写真家集団の一人として世界各地に赴き、激動する時代の目撃者として、何百万という読者に写真を提供しました。

1930年代半ばには、アメリカ中西部で断続的に発生した砂嵐の犠牲者を取材・撮影しました。また、ヨーロッパを旅行し、ドイツ、オーストリア、チェコスロバキアがナチズムの影響下に置かれていく様子を、またロシアが共産主義の道を進んでいく様子を記録しました。ロシアでは「微笑むスターリン」という非常に貴重な瞬間をフィルムに収めました。グルジアではスターリンの母親と大叔母のポートレートも撮影しました。

第二次世界大戦が勃発すると、バーク=ホワイトは戦闘地域での活動を認められた初の女性従軍記者となりました。1941年にドイツが独ソ不可侵条約を破棄したちょうどその時、彼女はソビエト連邦へ旅立ちました。ドイツ軍が侵入したとき、彼女はモスクワにいるただ一人の外国のカメラマンでした。一時的に米国大使館に避難しましたが、その後引き続いて起こった戦火を撮影しました。 戦局が激化すると、彼女は北アフリカでアメリカ陸軍・空軍に同行、次にイタリアとドイツで米陸軍を取材しました。イタリアの激戦地域では、繰り返し攻撃を受けたといいます。

後にドイツの旧強制収容所を訪れたバーク=ホワイトは、当時を振り返ってこう述懐しています。「カメラを手にしていたことが唯一の救いでした。それは私と目の前で繰り広げられる恐怖の光景との間に、わずかな防壁を作ってくれたのです」

バーク=ホワイトはまた、インドとパキスタンを取材旅行し、紡ぎ車の横に座るマハトマ・ガンディーの有名なポートレートと、パキスタン独立の父ムハンマド・アリー・ジンナーを撮影しました。
彼女にはしかるべき時にしかるべき場所にいる才能があったようです。彼女はガンディー暗殺のわずか数時間前にインタビューし、写真を撮っています。


Margaret Bourke-White マーガレット・バーク=ホワイト

バーク=ホワイトには、シンプルで洗練されたデザインのセンスがありました。また、高度な写真技術も習得していました。これらは工業カメラマンの見習いだった時代に培われたものに違いありません。

彼女は、当時新しく開発されたフラッシュバルブという撮影用の照明を喜んで取り入れました。これにより、今までは撮影が不可能だった暗い場所でもクリアでより詳細な写真を撮ることができるようになったからです。撮影時にシャッターと同調させて2つ、あるいは3つのバルブを発光させることで、室内に適正な光を作り出すことができました。

バーク=ホワイトはこの技術に非常に熟練していましたが、それは室内の明るさと窓の外に見える自然光のレベルのバランスを考えるという緻密な計算を必要としました。

一般的な法則に従えば、窓外の景色は室内よりも2倍明るい状態でなければなりません。そうしなければ、窓越しに見える外の景色が壁にかけられた絵のように見えてしまうからです。


Margaret Bourke-White マーガレット・バーク=ホワイト

右の写真では、バーク=ホワイトは光の計算を明らかに少し間違えています。このため窓の外の景色は不自然な感じがします。しかし結果的には、自然に見えるように正しくフラッシュが焚かれた場合よりも、おもしろい写真になりました。この2人の物静かな老人は、幻想によって密封された部屋に座っているようです。

こうして数々の武勇伝を残し、多くの伝説的な写真作品を世に送り出し、高い評価を得たバーク=ホワイトですが、1953年にパーキンソン病を発病。長い闘病生活の末に、1971年、67歳で亡くなりました。

1963年、彼女は自叙伝「Portrait of Myself」を出版し、ベストセラーになりましたが、健康状態は思わしくなく、コネチカット州ダリエンの自宅に引きこもるようになりました。居間には、1938年にチェコスロバキアで撮影した常緑樹林のモノクロ写真を床から天井まで届く巨大なサイズに引き伸ばしたものが壁紙として貼られていました。




マーガレット・バーク=ホワイト / キュレーターおすすめの写真集
Margaret Bourke-White: Photographer Margaret Bourke-White: Photographer

バーク=ホワイトの代表作を収めた回顧録的な一冊。ドキュメンタリー写真とは、そして女性写真家としての生き方とは、などさまざまなことを考えさせられます。



Margaret Bourke-white: The Early Work, 1922-1930 (Pocket Paragon Series) Margaret Bourke-white: The Early Work, 1922-1930 (Pocket Paragon Series)

バーク=ホワイトの初期の作品を集めた写真集です。まだ無名だった、18〜26歳までのアマチュア・カメラマンとしての写真が紹介されています。彼女自身のキャリアの始まりを知るとともに、アメリカのフォトジャーナリズムの歴史もたどれます。


Margaret Bourke White

20世紀に最も成功したフォトジャーナリストの1人、バーク=ホワイトの伝記。



You Have Seen Their Faces You Have Seen Their Faces

1929年に始まった世界恐慌時代、バーク=ホワイトは作家アースキン・コールドウェルとともにディープサウスと呼ばれる最南部地方を18か月かけて旅行し、小作人たちの生活状況を取材しました。その結果として発表されたのがこの本です。




マーガレット・バーク=ホワイトのことば・名言集
  • 私にとっての人生の秘訣……それは次々と押し寄せる出来事の最中でも内なる静けさを保つことでした。私は興奮、悲劇、大惨事、勝利、そして苦しみを扱う人生を選んでしまいました。それらの出来事の記録と理解のために自分のすべてを投げ打つなかで、バランスを保つためには内面の平穏が必要だったのです。
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