
Brassai
ブラッサイ
ブラッサイという名前は、彼の出生地である「ブラッソ」という町に由来しています。ブラッソはトランシルバニア地方にあり、当時はハンガリーの領土でしたが後にルーマニアの一地方となり、ドラキュラ伯爵の舞台として有名です。
1920年代の中頃にパリにやって来る前に、ブラッサイはブダペストとベルリンで芸術を学びました。初めは写真にまったく興味がありませんでしたが、その彼を写真の道に進ませたのは、知人であったアンドレ・ケルテスの写真を見たことがきっかけです。
そして30年代初頭になると彼はパリの写真、色鮮やかでいかがわしいパリの夜を撮り始めました。 売春婦、ポン引き、売春宿の女将、女装や男装趣味、ならず者、冷めた目で快楽を追い求める人間の寄せ集め……これらの写真は1933年、「夜のパリ(Paris de Nuit)」というタイトルで出版され、現在でももっとも偉大な写真集のひとつに数えられています。
パリの暗いビストロや町の通りで撮影することは、当時の技術としては難しい問題でした。それに対するブラッサイの解決法は直接的で原始的で、完璧でした。彼は三脚に小型プレートカメラを据え、準備ができるとシャッターを開き、そしてフラッシュを焚きました。
たとえフラッシュがその場の明るさに合っていなかったとしても、ブラッサイにとってはむしろ好都合でした。よりまっすぐで、より情け容赦なくて、より事実を描写していて、ブラッサイ自身のビジョンを映し出していたからです。
「夜のパリ」が出版されたとき、イギリスの写真家ピーター・ヘンリー・エマーソンが出版社に手紙を書き、「このすばらしい写真集を記念してブラッサイにメダルを贈呈したいので住所を教えてほしい」と頼んだそうです。
エマーソンは当時すでに80歳近い高齢で、「自然主義写真」の提唱者であり、ありのままの自然さを写し出すことを強く提唱し実践した人物でした。
対極的な写真を撮るブラッサイがエマーソンのことをまったく知らなかったというのは、写真の歴史のなかでも興味深い出来事です。

