
Brassai
ブラッサイ

ブラッサイ(本名ジュラ・ハラース Gyula Halsz)はハンガリー出身の写真家です。
ブラッサイという名前は、彼の出生地である「ブラッショー」という町に由来しています。ブラッショーはトランシルバニア地方にあり、当時はハンガリーの領土でしたが後にルーマニアの一地方となりルーマニア語での地名はブラショフです。ここはまた、ドラキュラ伯爵の舞台として有名です。
若いころブダペストにあるハンガリー芸術アカデミーで絵画と彫刻を学んだブラッサイは、第一次世界大戦での兵役を経て、1920年ベルリンに移り住みました。そこでハンガリー語新聞のジャーナリストとして働く一方でアートを勉強し、同じハンガリー出身のアーティストたちと知り合いました。
彼らは後にみなパリへと向かうことになったのです。
ブラッサイは1924年にパリにやって来ます。モンパルナスに集まる若いアーティストたちと付き合いながら、生活のためジャーナリストの職を得て、アメリカ人作家ヘンリー・ミラーや多くのフランス人作家と出会いました。

それまでの彼は写真にまったく興味がありませんでしたが、自身の記事に添えるための写真を撮り始めました。そして知り合いだったハンガリー出身の写真家 アンドレ・ケルテス に撮影術を伝授してもらったことから、彼の人生は大きく転換することになります。新聞記事のための写真から、後に自身で述べているように「雨や霧に濡れた路地や庭の美しさをとらえるため」、または「夜のパリを撮るため」にカメラを手に夜のパリを歩き回ることになったのです。彼が本名のジュラ・ハラースではなく、出身地にちなんで「ブラッサイ」と名乗るようになったのもこの頃からです。
そして1930年代初頭になると彼はパリの写真、色鮮やかでいかがわしいパリの夜を撮り始めました。 売春婦、ポン引き、売春宿の女将、女装や男装趣味、ならず者、冷めた目で快楽を追い求める人間の寄せ集め……これらの写真は1933年、「夜のパリ(Paris de Nuit)」というタイトルで出版され、現在でももっとも偉大な写真集のひとつに数えられています。

パリの暗いビストロや路地で撮影することは、当時の技術としては難しい問題でした。それに対するブラッサイの解決法は直接的で原始的で、そして完璧なものでした。彼は三脚に小型プレートカメラを据え、準備ができるとシャッターを開き、そしてそのままマグネシウム・フラッシュを焚きました。
たとえフラッシュがその場の明るさに合っていなかったとしても、ブラッサイにとってはむしろ好都合でした。より直接的で、より情け容赦なくて、より事実を描写していて、さらにブラッサイ自身のビジョンを忠実に写し出していたからです。 例えるならそれはまるでハンマーで一気に打ち下ろすかのような撮影方法でした。
友人である作家ヘンリー・ミラーは、ブラッサイを評してこう言っています。「あの男に会えば、彼が並外れた目を装備していることがたちどころにわかるだろう」

写真集「夜のパリ」は評判となり、ヘンリー・ミラーはエッセイのなかでブラッサイを「パリの目」と呼んでいます。
さらに、イギリスの写真家ピーター・ヘンリー・エマーソンが出版社を通じてブラッサイに手紙を書き、「このすばらしい写真集が賞を受賞したので、メダルを贈呈したい。ついては送り先の住所を教えてほしい」と頼んだそうです。
エマーソンは当時すでに80歳近い高齢で、イギリスでは権威ある写真家でした。「自然主義写真」の提唱者であり、ありのままの自然を写し出すことを強く提唱し実践した人物でしたが、ブラッサイはエマーソンの名前も聞いたことがなく、興味もなかったようです。対極的な写真を撮るブラッサイがエマーソンのことをまったく知らなかったというのは、長い写真史のうえでなかなか興味深い出来事です。
ブラッサイはその後もアンダーグラウンドなパリの街を撮り続けましたが、それに加えて都会の上流階級、知識人のポートレートも撮影するようになりました。さらに、数多くのアーティストの友人たちをも撮影しています。サルバドール・ダリ、パブロ・ピカソ、アンリ・マチス、アルベルト・ジャコメッティ……。また、ジャン・ジュネ、アンリ・ミショーなど著名な作家・詩人のポートレートも残しました。
ブラッサイを写真の世界へと誘い入れたアンドレ・ケルテスは1936年にニューヨークへ移住しましたが、ブラッサイは生涯をフランスで過ごし、パリを目指してやって来た若いハンガリー人アーティストとも親交を深めました。
1984年、ブラッサイは南フランス・ニース近くの観光保養地ボーリューシュルメールで亡くなりました。そして、パリ・モンパルナスの墓地に埋葬されました。
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ブラッサイの代表作にして、写真史上もっとも重要な写真集のひとつ。先駆者ロートレック同様、夜のパリをすばらしいモノクロ写真で描写しています。レイアウト、エッセイも本人によるもの。官能的な内容を含むため、Amazon.co.jpではアダルト扱いとなっていますが、必見です。

1932年に出版された記念すべき写真集。1930年代初期の夜のパリを歩き回り、この街で夜ごと繰り広げられるドラマチックな表情を印象的な写真におさめました。

テキサス州ヒューストン美術館での展覧会のカタログであり、伝記としても非常に価値のある一冊です。ブラッサイという人物を5つの分野(写真、映像、彫刻、執筆、そしてスケッチ)から論じています。
ドイツの美術出版社タッシェンが創立25周年を記念して出版。厳選された代表作の数々と、彼の生涯や作品に関する詳細な記述でブラッサイの世界を鮮やかに紹介しています。
- この時代、写真は我々に重大な責任を残していった。スタジオのなかで壊れた植木鉢だのオレンジだの、ヌードの習作だの静物だのをいじって遊んでいるうちに、ある日突然、自分が弁明しなければならない事態に陥ることに気づかされるのだ。まだ何も見ていないのに人生が自分の目の前を過ぎ去ろうとしていることに対する弁明を。