
Elliott Erwitt
エリオット・アーウィット

エリオット・アーウィットは1928年、パリで生まれました。両親はフランスに亡命してきたユダヤ系ロシア人です。少年時代をイタリアのミラノで過ごし、11歳のときに家族でアメリカに移住しました。
10代の頃はハリウッドに住んでいて、映画スターのブロマイドを制作する暗室でのアルバイトで写真への興味を深めました。
その後、ロサンゼルス・シティー・カレッジに進学して実際に写真を撮り始めました。21歳のときに相棒のローライフレックスを手にフランス、イタリアを旅行。その2年後に徴兵され、陸軍通信隊の一員としてドイツ、フランスなどで写真関連の任務を遂行したそうです。
アーウィットは兵役に就く前にニューヨークに滞在し、そこでエドワード・スタイケン、ロバート・キャパ、農業安定局(FSA)のロイ・ストライカーらと出会いました。彼らはアーウィットの写真を評価し、その後の写真家人生に大きな影響を与えました。当時スタンダード・オイル社が写真ライブラリーを設立中で、ストライカーはプロジェクトの一員として彼を採用したのです。

1953年、25歳になったアーウィットはマグナム・フォトに加入。フリーランスの写真家として『ライフ』などの写真雑誌を中心に次々と作品を発表しました。1968年からはマグナムの会長を3期務めました。1970年代に入ると、映画制作も手がけるようになり、70年代にはドキュメンタリー映画、80年代にはコメディー映画やテレビ・コマーシャルを制作しました。
また、1970年制作のドキュメンタリー映画『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター』ではカメラマンとして、2005年の『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』では宣伝用のスチール写真担当として、それぞれクレジットされています。
アーウィットが好んで撮影するモチーフとして犬、子どもが有名です。その写真は慈愛に満ちたアイロニーと、人間に対する豊かな感受性を感じさせます。

自分の感覚のみを信じて物事を判断できる人というものは、次の3つのタイプに分類することができます。
聖者、よほどの変わり者、あるいはユーモリスト。
幸いなことに、これらのタイプは人類全体から見るとごく少数派です。というのも、ほとんどの人は純粋に自分の経験だけを信用するほど愚かではないからです。例えば多くの人々がエリオット・アーウィットの写真が展示されている美術館を訪れますが、そこで彼らが目にする写真にはアーウィット自身が見たものそのままが写し出されています。
ところが、もし事前に展覧会のカタログを入手していて、解説文を読んでいたとしたら、どうでしょうか。
事前に情報を得てしまったことで、自分が見たものと事前の情報の間で矛盾が生じ始めます。このとき平均的な人間なら自分の目を無視し、情報のほうを信用してしまうのです。

目の前の事実を明白に記録できるという点において、写真は史上最強の発明です。しかしながら、そこには変わることのない問題点も存在していて、それは「誤った事実を記録してしまう」という問題です。写真は、確実に存在した事実をそのまま記録している訳ではありません。前後関係やフィルムに収まらなかった周囲の状況、その場で交わされた会話などはそこには記録されていないのですから、結果として事実がそのまま記録されているのではなく、事実らしきことが記録されているのです。
写真のアキレス腱ともいえるこの欠点は、以前から評論家によって指摘されてきました。つまり、うわべだけの描写とか、表面的な自然主義といった調子で捉えられたのです。
エリオット・アーウィットの写真がこの批判に理論上当てはまっているとすれば、彼の写真がある特定の事象を撮影していながらもただの記録にとどまらず、一方で哲学的な真実を表現しているという点でしょう。例えばこの写真が、「美術館の本当の役割は、絵画を展示することではなく、宝物を収蔵することである」という真理を表現しているという風に。
犬や子どもなどの親しみやすい題材を好んで撮影し、一見すると何でもない光景を撮影しているようでいて、アーウィットの写真には普遍的な真理が隠されているのです。
写真やアートを鑑賞するときは、何も情報を持たず、他人の意見や批評を頭にインプットさせず、まずは見て感じることで自分自身が最大限に楽しめるのではないでしょうか。
「自己ベスト」と名づけられたこの写真集は、アーウィット自身が自ら写真を選び編集した、まさに決定版です。収録されている作品の3分の2は未発表。アーウィット世界の全貌を見ることができる一冊です。
- 私にとって写真とは観察の芸術だ。ありふれた場所で何かおもしろいものを発見することだ。自分が「何を」見ているかというのはあまり関係ない。それを「どのように」見ているか、がすべてである。