
Eugene Atget
ウジェーヌ・アジェ

実際のところ、アジェの生い立ちや写真を撮った理由についてはよくわかっていません。
いくつかの断片的な事実や逸話などからぼんやりとした輪郭が浮かび上がっているだけです。
1857年、アジェはボルドー近くのリブルヌ(Libourne)で生まれました。彼が幼い頃に両親が相次いで亡くなり、母方の祖父母に育てられました。若いころは商船の水夫をしていましたが、その後、旅回りの役者に転じました。ところが脇役ばかりで大きな成功は収められなかったために、次は画家を志してみたりしましたが、結局40歳のときに写真を始め、これがライフワークとなったのです。

一見すると、アジェは典型的なコマーシャルフォトグラファーのように思われています。彼が写真を撮ったのは、自己表現のためでも芸術作品を作るためでもなく、画家が絵を描くときの資料となる写真を販売するためでした。
その写真はけっして革新的なものではなく、当時すたれつつあったテクニックで愚直なまでに丁寧に仕事をしたのです。
晩年になると、そのテクニックは当時の流行から外れ、アナクロにさえ思われたはずです。
ムーヴメントを巻き起こしたわけでもなく、同調者もいませんでしたが、アジェの写真の純粋さ、強烈さに匹敵する写真家はほかにいないでしょう。

アジェの作品は2つの点でユニークです。
ひとつは、20世紀初頭のパリの街、文化のすばらしいカタログを作り上げたこと。街並みや建築物、商店のウインドウ、庭園などの写真は、美しいだけでなく貴重な史料としても第一級です。
もうひとつは、アジェの作品が、現代の洗練された写真家にとっても一種のベンチマークとなるような独創性をもっていることです。通常、写真家はある特定の事実(ドキュメンタリー)か、個人的な感性(自己表現)のために写真を撮ります。
しかしアジェの作品は、古代から現在に至る長く複雑な伝統を理解し、解釈するという目的を担っていたために、ドキュメンタリーとか自己表現というアプローチのレベルを超越しています。

このため、一見するとシンプルで、地味に見える彼の写真は、実は非常に豊かで、ミステリアスであると同時に真実をしっかりと捉えているのです。
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ニューヨーク近代美術館(MOMA)の元キュレーター、ジョン・シャーカフスキーによる解説文が付された写真集。アジェの代表的な作品100枚をセレクションし、それぞれに洞察力に満ちたコメントがつけられています。美しい印刷の写真集です。
写真家クリストファー・ラウシェンバーグは、1990年代後半、パリに1年間滞在し、アジェが撮影した多くの場所を再訪し、撮影しました。アジェが見たパリと現代のパリ。74対の美しい写真によって変わりゆくパリ、変わらないパリを疑似体験できる楽しい写真集です。
ここに紹介されている160枚以上のポートフォリオは、これまで軽視されてきた作品にもスポットライトを当てることで、現代写真のパイオニアとしてのアジェを深く掘り下げていきます。
- よい写真とは優秀な猟犬のようなものです。やたらと吠えないが、雄弁なのです。