W. Eugene Smith ユージン・スミス




W. Eugene Smith
ユージン・スミス


アメリカ, 1918-1978

Eugene Smith ユージン・スミス

1940年代半ば頃まで、若い優秀なカメラマンにとって成功への近道と思われていたのは、写真雑誌に作品が掲載されることでした。インターネットがない時代、何千万もの人々に作品を見てもらうにはそれがほとんど唯一の方法だったのです。

しかし、カメラマンとして自分の思ったとおりの仕事をするには、大衆雑誌という媒体は非常に困難な場所です。出版社、編集者、ライター、アートディレクター、研究者、それぞれの方針や主張や思惑、利害関係が交錯して、多くの場合カメラマンは撮りたいものを撮るのではなく、共同作業の一員として仕事をすることになってしまいます。



Eugene Smith ユージン・スミス

ユージン・スミスは、おそらく、もっとも英雄的に、写真雑誌が求める条件を満たしつつ、アートとして自分が納得しうる写真を撮影しようと努めた写真家でした。しかしながら彼の責任感、正義感の強さは、ジャーナリズムのシステムには適合しませんでした。最終的にユージン・スミスは「ライフ」誌編集部の方針と合わず対立、関係を断ち切ることになります。



Eugene Smith ユージン・スミス

それにも関わらず、第二次世界大戦後の10年間に彼によって撮影されたフォト・エッセイはたいへん印象深いものです。全体としては雑誌の編集方針を守っているように見えますが、彼の撮影した写真は記事が伝えている内容以上のものを語りかけているからです。



Eugene Smith ユージン・スミス

第二次世界大戦中は従軍カメラマンとしてサイパンや沖縄戦を取材し、日本との縁が深かったユージン・スミスは、1971年から3年余り熊本県の水俣に滞在し、水俣病の実態を撮影、発表しました。

膨大な時間と労力をかけて対象と向き合い、緻密な取材を重ね、物事の本質に迫る偉大なドキュメンタリー・フォトグラファーでした。