Walker Evans ウォーカー・エヴァンス




Walker Evans
ウォーカー・エヴァンス


アメリカ, 1903-1975

Walker Evans ウォーカー・エヴァンス

ウォーカー・エヴァンスは1903年、ミズーリ州セントルイスに生まれました。
フィリップス・アカデミーで文学を学んだのち、ニューヨーク市立図書館で働き、その後、パリへ。作家を目指していたエヴァンスはソルボンヌ大学の聴講生としてフロベールやボードレールなどのフランス文学を学びました。

また、エヴァンスはこの時期、コダックのカメラを購入して写真を撮り始めました。パリを舞台に活動したフランスの写真家ウジェーヌ・アジェの作品にたいへん感銘を受けたからです。

書くことよりも写真での表現に魅力を感じたエヴァンスはアメリカへ戻り、その翌年の1927年、本格的に写真を始めました。



Walker Evans ウォーカー・エヴァンス

1920年代という時代は、多くの写真家にとって魅力ある時代でした。写真という新しい表現手段を手にした彼らは、まるで冒険の旅に出るように次々と新たな表現を生み出しては試し、そのゲームのような面白さは彼らを虜にしていきました。 しかし、そうした一連の視覚ゲームが一段落すると、1930年代の初頭にはすでにその魅力を失っていきました。

こうした変化は時代のせいだとか、またはアーティストの間で社会的・政治的なものに対する意識が高まってきたせいだなどと一般的にいわれていますが、残念なことにこの解釈ではまだ説明が不十分といえます。というのは、社会的意識が高いからといって「リアリズム」とは限らず、逆に社会的無関心イコール「抽象主義」とは限らないからです。

たとえばハンガリー出身の写真家で構成主義的な芸術表現を志向し、バウハウスに影響を与えたモホリ=ナギは、芸術の社会的有用性を深く意識していましたが、同時に形式主義者でもありました。

ブラッサイは、究極のリアリストでしたが、個々の生命の描写に没頭するあまり、ほとんど社会の存在に気づいてすらいないように思えます。

エドワード・ウェストンは非政治的であるだけでなく、基本的に非社会的でもありました。

反対に、ポール・ストランドは写真家や映画監督として活動する一方で、共産党員の友人を多数持ち、自らもある社会機構のひとつと密接に関係していました。

しかしながら、彼らのこうした傾向も、1920年代後半ごろから次第に「リアリズム」の方向へと変化していくのです。



Walker Evans ウォーカー・エヴァンス

1930年前後のこの変化によって、これまでの20年間写真家が確立してきた存在意義は揺らぎ、特にこれから登場する若い写真家にとっては新たな可能性を模索することが求められるようになりました。
ちょうどその頃、知的で洗練された写真家によって、眼前のありのままの事実を詩的に表現するというやり方が行われるようになりました。この新しいスタイルは、ドキュメンタリーと呼ばれるようになります。

写真に対するこの新しいアプローチは、ウォーカー・エヴァンスの作品のなかで、最もはっきりとその特徴が浮かび上がりました。

エヴァンスの作品は、最初、ほとんど「芸術」とは対極にあるように思われました。
それは厳格なまでに無駄をそぎ落とし、正確に測られ、真正面から向き合い、感情的にならず、冷静に織り込まれ、あくまでも事実に基づいていて、「芸術」よりも帳簿係の出納簿にふさわしく思われるほどだったからです。
しかし、一見とても簡潔でそっけなく見えるエヴァンスの写真は、実は非常に表現力豊かで深い内容をもっていることがやがて明らかになりました。

彼は、表舞台に出ることのない一般市民のなかの貴重な「財産」、たとえば人々の生活、ささやかだけど美しいヴィクトリア様式の建築物、ありふれた看板、家族の姿などを、丹念に調査し、写真に収めました。エヴァンスは、それ以前の写真家が通り過ぎていたこれらの対象のなかに「詩」や問題点を見い出し、豊かな感受性をもって撮影に臨みました。

また、1935年不況対策の一環として設けられた農業安定局(FSA)の歴史資料部長ロイ・ストライカーのプロジェクトに参加し、ドロシア・ラングらとともにアメリカの貧しい農村地帯を撮影しました。その後、作家のジェームズ・アジーとともに、「Fortune」誌のプロジェクトに参加、アラバマの小作農の一家と2か月間をともに過ごしました。その結果が「Let Us Now Praise Famous Men」として出版され、彼の代表作のひとつとなっています。



Walker Evans ウォーカー・エヴァンス

一番上の「STUDIO」の写真は、ある田舎の写真店のウィンドウをガラス越しに撮影したものです。これはアメリカ人のさまざまな顔、服装、ライフスタイルの凝縮されたカタログであり、1936年当時のアメリカ人がどのような様子だったかという質問に答えるための一種の自画像でもあります。と同時にそれは、これら一人ひとりの写真を撮影したカメラマンと、名もないモデルたちの誠実さに対するユーモラスな賛辞ともとらえうるのです。

この作品は非常に注目すべき、独自性をもった写真であり、私たちはこの一枚からさまざまな解釈を導き出すことができます。