
Dorothea Lange
ドロシア・ラング

1895年、ニュージャージー州ホボケンに生まれたドロシア・ラングは、コロンビア大学で学んだのち、サンフランシスコで人物写真家として独立しました。
1929年に始まった大恐慌によって、家を失い、職を求めてさまよう人々の姿にショックを受けた彼女は、彼らの状況を広く知らしめるためにストリートに出て写真を撮ることを決意します。
1935年には、農業安定局(FSA)に入り、農村部の現状をレポートする仕事を始めました。あくまでも直接的な手法で出稼ぎ労働者とその家族の悲惨な貧困の様子を記録していったのです。

屋外で写真を撮影するには、快晴のときよりも曇りの日のほうが撮りやすいものです。というのも、曇っていて濃い影が出ないような状況では、目の前の物体は我々が思っているとおりの姿を見せています。しかし、照りつける日光のもとでは、予期せぬ動きを見せる光と影のせいで本来の姿は覆い隠されたりゆがめられたりして、その姿は瞬間ごとに変化して見えるからです。

太陽の下で写真を撮るには、偏見を捨てて目の前の事象を受け入れる「目」が必要とされます。
もしも写真家が太陽をうまく扱うことができて、たとえ被写体が動いていたり身振りをしていたり、そこから立ち去ろうとしているような状況でさえも、そのわずかな瞬間の姿を正確に見ることができるとしたら、日光は写真家が撮影することができる最も素晴らしいもののうちの1つです。
ドロシア・ラングは太陽をうまく扱うことのできる写真家でした。そしてまた、彼女は人間のジェスチャーを捉えることにも優れていました。単に手による身振りではなく、根が生えたようにその場に立ち尽くしてお尻を傾け、頭を抱えるような様子などです。彼女は、服を着た人間の「身体」を、ヌード写真以上に克明に描写することができました。

右の写真は1938年の夏に撮影されました。当時は不況の影響で、出稼ぎの農夫には収穫時になっても仕事があまりなく、農夫たちは畑の脇や町の通りに立っておしゃべりをしながら時間をつぶすしかありませんでした。
ラングはこうした男たちの後姿を多数撮影していますが、なかでもこの写真はもっとも印象深いです。男は両手を挙げ、攻撃に身をさらしているように感じられ、その姿は戦争捕虜のようにも、華麗なバレエ・ダンサーのようにも、ローマ時代の聖人のようにも見えます。
写真をクリックすると、大きい画像が表示されます
1935年にスタートした農業安定局のFSAプロジェクト、第二次世界大戦時の日系アメリカ人への取材、カリフォルニアやアリゾナの農村のドキュメンタリーなど、未発表作を含む作品が収録されています。
写真家ドロシア・ラングの波乱に満ちた生涯を紹介した魅力的な伝記です。子ども時代の病気、障害、写真との出会いなど、興味深いエピソードがつづられています。
1939年のフィールドワーク(カリフォルニア、太平洋岸北西部、ノースカロライナ)での未発表写真とキャプションから構成されています。不法移民キャンプ、貧しい農民、荒涼とした風景などの貴重な写真がラング自身のキャプションともに掲載されています。
- カメラとは、カメラなしでいかに見るべきかを教えてくれる道具である。