Laszlo Moholy-Nagy ラズロ・モホリ=ナギ




Laszlo Moholy-Nagy
ラズロ・モホリ=ナギ(ラースロー・モホリ=ナジ)


ハンガリー〜アメリカ, 1895-1946

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Laszlo Moholy-Nagy ラズロ・モホリ=ナギ

ラズロ・モホリ=ナギは、ハンガリー南部の小さな農村で生まれました。本名はラズロ・ヴァイスといい、再従兄弟(またいとこ)には指揮者、ピアニストとして活躍したゲオルグ・ショルティ卿がいます。

少年時代、ラズロの父は家族を捨てて家を出てしまいます。このため、彼は「ヴァイス」というユダヤ系の父親の姓から、「ナギ」(ハンガリー語では「ナジ」)という姓に変更しました。ナギは離婚後の家族をサポートし、ラズロと弟の面倒を見てくれたハンガリー人弁護士の苗字です。

1913年、モホリ=ナギは大学で法律を学ぶためにブダペストに行きましたが、まもなく第一次世界大戦が勃発。オーストリア・ハンガリー軍の砲兵隊に召集されます。が、やがて負傷し、陸軍病院に収容されることになりました。回復までの間に彼はスケッチを始めます。戦場での生活、同僚たち、戦地で出会った人々。その出来栄えはどうあれ、絵画に対する自らの情熱を見出したのです。終戦後、ブダペストに帰ったモホリ=ナギは法律の学位を取得しますが、すでに画家になることを決意していました。

戦争と革命に明け暮れた1910年代が終わりに近づき、ヨーロッパの若いアーティストのなかに、新しくてより良い社会を創造しようという気運が高まりました。そして次第に「未来派」と呼ばれた破壊的な前衛芸術活動から離れていったのです。「芸術のための芸術」は無用となり、自分たちの芸術を社会の役に立たせることを望んだのです。


Laszlo Moholy-Nagy ラズロ・モホリ=ナギ

1918年のハンガリー革命の後、モホリ=ナギはハンガリー共産党への入党を希望します。しかし、家柄がブルジョワ的だという理由で拒絶されてしまいます。その後は芸術の革命的な可能性を信じる集団「グループMA」に所属し、表現の幅を大きく広げてゆきます。同年8月ハンガリー・ソビエト共和国が崩壊するとドイツへ亡命し、アバンギャルドな芸術が花開いていた国際都市ウィーンへ、やがてベルリンへと向かいます。そして、ベルリンで彼の才能が結晶となって現出してゆきます。ダダイズム、シュプレマティスム(ロシアで起こった芸術運動で、抽象芸術の一派)、ロシア構成主義の影響を受けた抽象画を制作しました。

また、1922年には才能あふれる女性写真家ルチア・シュルツと出会い、結婚。その影響で写真を新たな芸術表現の手段として考えるようになりました。そして、フォトグラムという実験的な写真作品を制作します。カメラを使わず、印画紙の上に直接物体などを置いて感光させる手法で、これによりモホリ=ナギは光と影、透明性や形態について探索することができました。この手法自体は古くから行われていてモホリ=ナギが発明したわけではありませんが、「フォトグラム」という名称はモホリ=ナギが命名したものです。

1922年、画家として成功を収めたモホリ=ナギはベルリンでもっとも人気のギャラリー「Galerie der Sturm」で個展を開くまでになりました。また、この年建築家でバウハウスの創設者でもあるヴァルター・グロピウスに会い、これが縁で翌1923年からモホリ=ナギはバウハウスで教鞭をとることとなりました。

バウハウスは建築や工業デザインにおいて非常に影響力のあった学校で、視覚芸術の総合的な教育を行っていました。モホリ=ナギが予備課程の教育を担当するようになったことで、この学校の教育方針は大きなターニングポイントを迎えます。表現主義のような個人を主張する絵画を推奨するのではなく、アートとテクノロジーの調和という新しい考え方を導入しました。元々社交的な気質だったということもあり、教師という職業は彼にとって天職だったのかもしれません。


Laszlo Moholy-Nagy ラズロ・モホリ=ナギ

さらに、グロピウスと共同で定期刊行物を編集し、バウハウス叢書を出版しました。14冊からなるこのシリーズはバウハウスのマニフェストとなったのです。モホリ=ナギ自身、そのうち2冊を執筆しただけでなく、タイポグラフィのデザインも手がけました。1928年に退職するまでのバウハウスでの5年間は、モホリ=ナギの生涯のなかでもっとも実りある時代でした。

1920年代後期に入ると政治的圧力が強まり、モホリ=ナギにバウハウスを退職することを余儀なくされました。家族を養うため、クリエイティブな分野で仕事ができるようにあちこち探し回りました。彼はもはや自分を画家だと考えていなかったのです。1926〜1936年には11本の映画を制作しました。1932年にはルチアと離婚し、映画制作スタジオで出会った女性シビルと再婚しました。

1935年、モホリ=ナギとシビルはオランダを経由してロンドンに移住しましたが、ロンドンでの状況に満足できませんでした。というのも、彼が望むバウハウスの再構築はここでは難しかったからです。その頃、1936年のベルリンオリンピックの記録映画を撮影するよう依頼を受けます。しかし、思想を共有していた友人がナチスになっていたことを知ると落胆し、依頼を断りました。1937年、シカゴに開校する美術学校に赴任するよう、グロピウスの推薦を受けたのです。彼にとってついに新たなドアが開かれました。1937年に開校した「ニュー・バウハウス」はわずか1年で倒産の憂き目を見ますが、1939年にシカゴ・デザイン学校として再開、1944年からはデザイン研究所となりました。アメリカにおいて、モホリ=ナギはバウハウスの教育理念を継承し、工業デザインや写真などの分野において多大な貢献としました。しかし、1945年に白血病と診断され、1946年に亡くなりました。


Laszlo Moholy-Nagy ラズロ・モホリ=ナギ

ラズロ・モホリ=ナギは、第一次世界大戦後のヨーロッパで起こった革命的な芸術論のなかでも、もっとも強烈で、もっとも多才な知性の持ち主でした。画家、デザイナー、写真家であることに加えて、もっとも説得力があり実効的な理論家でもありました。そのコンセプトはバウハウスの芸術教育の基礎となるものでした。彼自身の作品、教育活動、著作を通じて、また仲間やその教えに共鳴する者たちを通じて、彼の思想はその後のアートや芸術論に深い影響を及ぼしました。

工芸、デザインなど、さまざまな分野において彼の与えた影響は大きいのですが、なかでも写真に対する貢献は最大級です。フォトグラムとフォトモンタージュへの取り組み、写真と絵画の中間に位置づけられるような技術は、当時、特にアメリカにおいて主流を占めていたストレートフォトグラフィ(技巧に頼らず、ありのままを客観的に撮影しようという表現形式)に対する挑戦ともいえるものでした。モホリ=ナギの写真といえばフォトグラムなど技巧を凝らした作品群が有名ですが、こうした一般的な評価にも関わらず、彼の撮影したストレートフォトグラフィは非常に特徴的で、興味深いのです。それらの写真は技術的な意味ではまさにストレートです。カメラによって記録された画像を、いじることなくそのままプリントしているからです。ところがそこに記録された意図という面から見ると、あいまいで、逆説的で、一筋縄ではいかない才知を感じます。

モホリ=ナギのカメラに対する愛情は、「すべてのものは見た目どおりではない」ことをカメラが実に説得力あふれる方法で明示してくれるという事実に基づいています。写真論というアカデミックな観点から眺めると、彼の写真は論外なほどに出来が悪いといっても過言ではありません。

写真の主題は、明らかに偶発的に写りこんだ迷路のようなその他の物体や人によって半ば埋もれてしまい、どことなく違和感を催す遠近法によって歪められ、この写真の主題は何なのかはっきりと決めかねているうちに中途半端にシャッターを押してしまったかのような構図になっています。

たとえば、上の写真を見てみましょう。これを2人の子どもを撮影した写真であると考えるならば、なるほど上記のような指摘はもっともだと思われます。しかし、実際はそうではないのです。これはいわば未知の視覚体験とでもいうべき写真で、そこでは空間が、写真という定型と優位性をめぐって競っているかのような印象を受けます。 写真は平面であるが、人はそこに空間があると錯覚する。この矛盾を解決するための試みは、20世紀芸術の主要なテーマのひとつでした。モホリ=ナギの写真はこうした歴史を裏付ける魅力的な役割を担っているようです。






- ラズロ・モホリ=ナギ フォト・ライブラリー -

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ラズロ・モホリ=ナギ / キュレーターおすすめの写真集
Moholy-Nagy: The Photograms: Catalogue Raisionne

450点に及ぶ彼の作品が年代順に並べられた写真集。


Laszlo Moholy-Nagy: Retrospective: Schirn Kunsthalle Frankfurt

回顧展のカタログとして出版された写真集で、写真のみならず絵画、映像、彫刻、舞台美術、タイポグラフィと多才ぶりがうかがわれる一冊。


The New Vision: Fundamentals of Bauhaus Design, Painting, Sculpture, and Architecture (Dover Fine Art, History of Art)

バウハウスでの教師としての経験をもとにモホリ=ナギ自身が書いた、デザインに関する古典的名著。



ラズロ・モホリ=ナギのことば・名言集
  • 写真の敵は「しきたり」です。「こうすべき」と固定されたルールにしばられることです。その状況から写真を救うには「実験」が必要です。
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