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Robert Doisneau ロベール・ドアノー




Robert Doisneau
ロベール・ドアノー


フランス, 1912-1994

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Robert Doisneau ロベール・ドアノー

ロベール・ドアノーは1912年、パリ郊外のジャンティイで生まれました。

配管工だった父親は彼が4歳のときに戦争で死亡し、母親も7歳のときに亡くなったため、叔母に引き取られました。13歳から工芸学校で彫版印刷と石版印刷を学び、スケッチと静物画の授業に出たのがアートとの最初の出会いでした。

16歳から写真を始めましたが、極度の恥ずかしがりやのため、初めは通りに出ても人物を撮ることができず、道路の玉石ばかり撮影していたそうです。その後広告デザイン会社に職を得て、カメラマンとしての道を歩み始めました。

1934年にルノーの自動車工場に就職して工業広告カメラマンとして働き始めました。この職場でドアノーは写真や人間に関わる仕事への興味を深めたのです。本人が後に語っているように、それは「写真家としてのキャリアのスタートであり青春時代の終わり」でした。ところがその仕事も遅刻が多いという理由で解雇されてしまい、広告や彫版印刷の仕事をしたり、絵はがきの写真を撮ったりしてなんとか生計を立てていました。


Robert Doisneau ロベール・ドアノー

1939年、パリの写真エージェンシーであるラフォに雇われ、フランス中を旅行して撮影しました。
第二次世界大戦が勃発すると、兵士兼カメラマンとして徴兵され、除隊した後もレジスタンス活動に参加。印刷やレタリングの技術を活かして、ユダヤ人を助けるためにパスポートや身分証明書の偽造を行ったそうです。

戦後はフリーカメラマンとしてライフなどの雑誌に写真を発表しましたが、ラフォ・エージェンシーに戻り、生涯所属しました。その間アンリ・カルティエ=ブレッソンからマグナムに誘われましたが、ドアノーはそれを断っています。「私は物事をありのままに撮らない。こうあればいいと思う世界を撮っているのだから」というのがその理由です。

1948年にはファッション写真家としてヴォーグ誌と契約。ヴォーグ側では斬新で気取らない感じのファッション写真を期待していましたが、エレガントなスタジオでファッショナブルな女性を撮影することにどうしても馴染めませんでした。ストリート写真を撮影するほうが好きだったのです。そしてスタジオを抜け出してはパリの街を撮影しました。

パリの通りやカフェで見られる、さまざまな階級の人々の何気ない普通の生活をドアノーは撮影しました。アンドレ・ケルテスウジェーヌ・アジェアンリ・カルティエ=ブレッソンに影響を受けたその作品は、人間の弱さや生活をユーモアやほろ苦さを込めて魅力的に表現したものです。また、遊んでいる子どもたちの撮影もライフワークのひとつでした。何度も何度もこのテーマに戻っては、遊びに興じる子どもたちを真剣に、敬意をこめて撮影したのです。


Robert Doisneau ロベール・ドアノー

1950年、もっとも有名な写真をライフ誌に発表します。「パリ市庁舎前のキス」と呼ばれる作品は、パリの若い恋人たちのシンボルとなったのです。ところがこのカップルが誰なのかは1992年まで謎のままでした。

パリに住むラヴェーニュ夫妻は自分たちがこの写真のカップルだと思い込んできました。そして1980年代にドアノーと会って昼食をともにしましたが、彼は「ふたりの夢を壊したくない」と真相を語りませんでした。このため夫妻は「無許可で写真を撮影した」としてドアノーを告訴。裁判所はドアノーに事実を明らかにするよう要求したのです。
写真のカップルはフランソワとジャックという若い俳優の卵でした。ふたりは恋人同士で、街角でキスをしているところをドアノーが見つけて近づき、もう一度キスしてくれるよう頼んで撮影したのです。しかしふたりの関係は9か月しか続きませんでした。ジャックは俳優の夢を諦めてワイン職人の道を進み、フランソワ・ボネは女優として活動を続けました。

ドアノーはラヴェーニュ夫妻の裁判に勝利しました。

この話には後日談があります。今度は女優のフランソワがドアノーを相手取り、肖像権料を要求して裁判を起こしたのです。ところが、撮影から数日後にドアノーが写真をプリントしてサインとスタンプを入れ、撮影の謝礼としてフランソワに贈っていたことが判明したため、提訴は受理されませんでした。2005年、彼女はその写真をオークションに出品し、予想をはるかに上回る高額で落札されました。

ドアノーは1936年、24歳で結婚しました。休暇で訪れた村で、サイクリング中のピエレット夫人と出会ったのです。それから57年後、ピエレット夫人は1993年にアルツハイマー病とパーキンソン病により死去。その半年後、ドアノーは後を追うようにその生涯を終えました。

アシスタントを務めていた長女のアネットは次のように話しています。「裁判には勝ちました。でも父はひどくショックを受けました。裁判の過程で偽りと嘘に満ちた世界を見てしまったから。そのことが父を傷つけたのです。あの写真は父の晩年を台無しにしてしまいました。それに加えて母の病気。父は悲しみのために死んだといっても過言ではないでしょう」


Robert Doisneau ロベール・ドアノー

ドアノー以前の世代の写真家たちは、戦争や人種差別のような、極悪非道で不完全な社会の犠牲者に対しては限りない同情の気持ちを示してきました。しかし、自らの人間的な弱さに悩んでいる人々に対しては同情どころかほとんど関心すら持ちませんでした。

ロベール・ドアノーは、戦争のような大いなる脅威に多くの目が向けられる時代でさえ、ありふれた普通の人々の持つ心の弱さや、彼らの犯すささいな罪は存在してきたことを写真によって示した数少ない作家の一人といえます。彼の写真からは人間に対する愛が伝わってきます。それが実際にはどんな人間であろうとも、彼は人間を愛したのです。

よく指摘されることですが、ある出来事を写真にしてみると、その場にいた人が感じたこととは全く別の意味を表すことがあります。ここに紹介した写真の紳士は、隣りに座っている女性に「君は仕事が遅いからクビだ」と解雇を通告しているだけかもしれません。しかしながら、一枚の写真が意味するものは、事実に関係なくその写真がどう表現しているかにかかっており、この写真の場合、見る人はそこに「誘惑」を感じてしまうのです。

女性は右腕で身体を覆い、左手はそれが禁断の果実であるかのように、ためらいがちにグラスに触れています。男はといえば無防備で弱々しい存在です。自らの欲望に操られてなす術もなく、引き返すこともできません。さらに悪いことに、男は誘惑の対象としては歳を取りすぎていて、この冒険がどのみち最悪の結末を迎えることを知っています。その悪い予感を振り払うように、ワインをがぶ飲みしています。

18世紀の画家たちでさえこのテーマをこれほど見事に表現できなかったでしょう。
ギリシャ神話のような劇的な展開を想像してしまいそうですが、実際にはどこかで見たことがありそうな、いつもと変わらぬ現実の日常のひとコマなのです。





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ロベール・ドアノー (アイコン・シリーズ)

ドアノーの生涯と作品をコンパクトに紹介したアイコン・シリーズの日本語版。入手しやすい価格、解説文も日本語訳されているので、入門として最適な一冊だと思います。




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パリのストリート写真を集めた決定版。娘の編集による600点近い写真は、彼が愛した普通の人々のありふれた毎日の生活のなかの奇跡のような輝きにあふれています。おすすめの一冊。


Doisneau: Portraits of the Artists

パリに生きる芸術家のポートレートを収めた写真集。ピカソ、ホックニー、ジャスパー・ジョーンズ、ジャコメッティ、マルセル・デュシャン、ル・コルビュジエ、藤田嗣治など、そうそうたる顔ぶれ。



ロベール・ドアノーのことば・名言集
  • 日常生活のなかで起きる小さな奇跡はほんとうに刺激的です。道端で繰り広げられる予想もつかない出来事は、どんな映画監督でも思いつきません。


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