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フォト・セレクション

リチャード・アヴェドンのことば・名言集


リチャード・アヴェドンのことば・名言集
カメラの後ろに立ち、向こう側にはヘンリー・キッシンジャーがいたあの日のことを私は本当に何も覚えていない。彼もまた覚えていないと思う。しかしそのときの写真は今もここにあり、私のほうでどう好意的に撮影してみても彼が望むような写真にはならなかったことを証明している、いや私でさえそんな写真にするつもりはなかった。写真とは不思議で恐るべきものだということを思い出させてくれる一枚だ。
ファッション写真と、「もっと深い」仕事と呼んでいるものとの間にはいつも明確な区別が存在する。ファッションは私が生計を立てる場所だ。それをけなしている訳ではない。そのように生計を立てられるのは喜びだ。それは喜びではあるが、ポートレートの仕事にはより深い喜びがある。自分が何者かを考えるのは重要ではないが、私自身は自分をポートレート写真家だと思っている。
私は圧倒されてしまった。ヴリーランド夫人がなぜか私を何度も「アバディーン」と呼び、ウェディングドレスを見て泣きたい気持ちにならなかったか尋ね続けたからだ。彼らはみな大真面目なのだ、ああいう働き過ぎの人たちは。ただ我々とは違う言語を話しているだけだ。

そこで私はモデルたちをビーチに連れ出した。彼女たちを裸足のまま、手袋もつけずに、竹馬に乗って海岸を走らせたり、馬跳びをさせたりして撮影した。現像ができあがってきたとき、ブロドヴィッチ(ロシア人写真家)はそれらをテーブルの上に並べ、編集者は言った、「これは使えないよ。女の子たちは裸足じゃないか」 ブロドヴィッチは写真をプリントした。その後すぐ、私はデビューした。

それらのスナップショットは従来行われていたものとは正反対だった。私は自由なスタイルで活動している若いカメラマンなど皆無だった時代にうまく入り込めた。誰もが疲れていた。戦争が終わり、ディオールはスカートの丈を長くした。そして突然、すべてが楽しくなった。ファッション写真家にとって、スタートするには歴史的にすばらしい時代だったのだ。 もし私はこれからキャリアを始めるとしたら、当時よりずっと苦労するはずだ。
若さは決して私の心を動かさない。若々しい顔に美を見いだすことはまずない。私が美を見いだすのは、作家サマセット・モームのへの字に曲げた唇や、アイザック・ディネーセンのしわだらけに手である。そこには多くが書かれていて、多くを読むことができる。私の写真集『Observations』に登場する人々はみなこの世の聖者であると感じている。なぜなら彼らは取りつかれているからだ、ひとつの仕事に。ダンス、美の追求、物語り、謎解き、ストリートでのパフォーマンス。イタリアの脚本家チェザーレ・ザヴァッティーニの口、フラメンコ・ダンサーのビセンテ・エスクデロの目、作家マリー=ルイーズ・ブスケの微笑、それらは虚勢を張ることについての説教なのである。
私の写真は目に見えない部分まで掘り下げていない。内面になど行っていない。表面を読み取った写真なのだ。私は表面的なものに大きな信頼を置いている。良いものは手がかりに満ちている。しかし顔立ちに美しさに見とれてしまったり、ひとつの美点にとらわれてしまったりすると、私はそこに本当にあったものを見失ったような気分になる。他人が決めた美の基準や、モデル自身のアピールポイントに惑わされてしまうのだ。しかし、それはたいてい最高ではない。だから撮影はいつも戦いになる。


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